こども救急箱

vol.275 小児がんへのゲノム医療

―特化した検査開発を―

南日本新聞掲載日付 2020/03/03

 がんゲノム医療という言葉をご存知でしょうか。ゲノムとは,体の設計図である遺伝子などのヒトの体の成り立ちに関わる全ての情報のことで,それが一冊の本のようにまとめられて細胞の中に収められています。細胞が増える時にその本(ゲノム)は書き写されますが,この時に運悪く,がんに関係する遺伝子に書き間違いが起こると,がんが発生すると言われています。この書き間違いを変異と呼ぶので、遺伝子変異と表現します。

 がんの原因となる遺伝子を調べ,診断や治療に役立てることが「がんゲノム医療」です。2019年6月からがん遺伝子パネル検査という,一度に100個以上のがん遺伝子を調べる検査が保険適応となりました。年齢を問わず,標準的な治療法では治療が難しい固形がんの患者さんが検査対象です。

 この検査では約八割の患者さんにがんの原因となる遺伝子変異が見つかります。しかし,実際に保険適応のある治療薬があるか,進行中の治験などに参加するなど,検査結果に基づき治療できる患者さんは約一割です。治療につながる可能性はまだ高くはありませんが,治療法のない患者さんにとっては貴重な情報を得ることができる検査です。

 がん遺伝子パネル検査は,難しい小児がん患者さんにとっても希望の光となり得ます。しかし,現在のがん遺伝子パネル検査は成人を対象に作られているため,治療できる小児患者さんは成人よりも少ないと考えられます。ゲノム医療を小児がんで有効活用するために,小児がんに特化したがん遺伝子パネル検査の開発が必要です。

 小児がんは成人がんと比べると患者数が少ない割に種類が多く,診断や悪性度の評価が難しいことが特徴の一つです。治療だけでなく、診断や治療結果の評価にもこの検査を利用することができるようになれば,さらに効果的で副作用の少ない治療法の開発につながると期待されます。

こども医療ネットワーク会員
中川俊輔(鹿児島大学病院小児診療センター)

vol.274 「悪くなったら」という助言

―患者と認識の共有を―

南日本新聞掲載日付 2020/02/04

 小さな子どもの病気の中には急速に変化するものがあります。医療機関を受診したときや電話相談(♯8000事業)のときにも、「今は様子を見ていいですが、悪くなるようなら再診あるいは受診を」というアドバイスがよくあります。このような場合、医療者の理解と保護者の理解が一致しておらず、結果として、こんなに悪くなるまでなぜ来なかったのだろうかと医師が感じることもあります。

 保護者にとって「悪くなったら」の具体例がなければ判断できないことも容易に考えられますし、何かと忙しい外来、特に急病センターのような時間外診療の場で詳細に説明または質問できない場面も想像できます。

 患者さんと医療者側の行き違いの例として「風邪だと思います」というやりとりがあげられます。患者さんは基本的に病名で考えますので、経過観察を経て他の病名を告げられた際に「今まで説明がなかった」と感じることも多いと思います。一方、医師は症状や検査結果からいろいろな可能性を考えますが、病名だけを念頭に説明しているのではありません。小児科医にとっては、「(病名はまだ判明しませんが)重くないので自宅で過ごせますね」という意味に近いのではないでしょうか。

 患者さんの「大丈夫でしょうか」という質問に対しては「今は大丈夫です」とは答えられるのですが、「ずっと大丈夫です」と言える医師はどこにもいません。がん検診で異常がない時、今までがんはなかったことを示していますが、今後がんが発生しないことを示すものではないのと同じです。

 インフルエンザも検査キットですぐにわかる時代になりましたが、多くの病気は経過を見ながら判断せざるを得ません。早く病名を知りたい患者と、さまざまな可能性を考慮する医療者がお互いの立場を理解した上で、円滑なコミュニケーションが進むことを期待しています。

こども医療ネットワーク理事長
河野嘉文(鹿児島大学病院小児診療センター)

vol.273 インフルエンザワクチン

―見解の相違の壁―

南日本新聞掲載日付 2020/01/07

 小児科を受診すると予防接種、とりわけインフルエンザワクチンの重要性を強調されると思います。あんしん救急箱でもよく取りあげています。どうして小児科医はこの予防接種を勧めるのかと思ったことはありませんか。

 乳幼児期の定期接種(公費負担)に指定されているワクチンは、役所からの通知も届き、健診のたびに小児科医や保健師さんから説明されますね。インフルエンザワクチンは原則的に公費負担はなく、任意接種に区分されています。予防接種の説明書をよく読むと、「定期接種と任意接種に医学的重要性に違いはありません」と記載されていますが、少し違いを感じられているかと推測します。

 よく報道されるのですが、インフルエンザワクチンは発症予防ではなく、重症化予防のワクチンとされています。医療界では脳炎・脳症等で生命に関わる症状は予防接種でしか防げないと言われていますし、病院で働く小児科医にはインフルエンザで入院してくる患者さんの大部分は未接種だと感じられるのです。

 予防接種をしてもインフルエンザにかかったから効果がなかったと思う人は多いと思います。また、予防接種はしない、と断言する保護者もおられます。小児科医と保護者の見解の相違は、得られる情報の違いによるのではないでしょうか。

 立場が違えば見解も異なるのは仕方がないのですが、小児が予防接種を受けるかどうかは子ども自身が決めているのではないという点で、小児科医としてはなかなか譲れない議論になります。

 情報保護の観点から実際に重症化した患者さんの情報は公開されないため、一般の方々がインフルエンザワクチンの重要性を身近に考えるための情報は限られています。玉石混交のネット情報ではなく、事実に基づいた正確な情報で判断できるように、匿名化した患者情報が提供されてもよいように思います。

こども医療ネットワーク理事長
河野嘉文(鹿児島大学病院小児診療センター)

vol.272 液体ミルク

―調乳不要、災害時に重宝―

南日本新聞掲載日付 2019/12/03

 赤ちゃんの栄養方法で、母乳かミルクかということはよく問題になります。このコラムでも取り上げたように、母乳不足や病気のためにミルクで育てる必要があるお母さんもたくさんいます。この場合のミルクというのは、一般的に粉ミルクのことで、お湯で溶かして準備すること、つまり調乳が必要です。

 母乳とミルクを比較して何が異なるかを議論すると、鉄分の量とかタンパク質の種類の違いが示されるのですが、もっとも現実的なのは調乳の手間があるかどうかです。母乳の場合にはその場で授乳ができますが、ミルクの場合には一度沸騰させて70℃以上のお湯で溶かすことと、清潔な容器の準備が必要になります。そのため、地震や台風などの災害発生時の避難場所ではとても大変です。

 2016年に発生した熊本地震のときに、フィンランドから液体ミルクが支援物質として送られてきました。調乳の手間が省略できるので重宝したという話を聞きましたが、日本では製造販売されていませんでした。各方面からの要請によって、2019年3月から液体ミルクが日本でも販売されるようになりました。今後各地で災害に備えて備蓄されることも予想されています。

 調乳の必要がなく、常温保存でき、そのまま飲ませることができる液体ミルクですが、日本小児科学会ではいくつかの注意点をあげて周知を図っていますので、その内容を紹介いたします。(1)高温下で保存しない、(2)有効期限と容器破損の有無の確認が必要、(3)開封後はすぐに使用し、飲み残しは廃棄すること、の3点です。

 非常に便利な液体ミルクですが、避難所等でも安心して母乳が与えられる環境を整備することも同時に重要なことだと思います。

こども医療ネットワーク理事長
河野嘉文(鹿児島大学病院小児医療センター)

vol.271 世界HTLVデー

―正しい知識 身につけて―

南日本新聞掲載日付 2019/11/05

 11月10日は「世界HTLVデー」です。昨年制定され、県と厚生労働省が鹿児島中央駅で街頭キャンペーンやシンポジウムも開催しましたが、ご存知でしょうか。

 HTLVとは、ヒトT細胞白血病ウイルスのことです。1970年代に九州地方出身者にT細胞白血病が多いことから、原因ウイルスとして見つかりました。ウイルスに感染しているひとをキャリアと言いますが、総てのキャリアが病気になるわけではありません。鹿児島にもキャリアが多く、当時風土病と考えられていましたが、現在では日本全体にいることが分かっており、国を挙げて2010年から対策が行われてきています。世界的にも対策が必要であることが認識され、多くの人々に知ってもらうために「世界HTLVデー」が制定されました。

 現在、次の世代に繋げないように有効な感染対策として母子感染対策があります。母乳を介してこどもに感染するため、母乳を制限し、人工栄養での育児が必要になってきます。人工栄養で育てた母親の約3人に1人が困難を感じていました。その理由で最も多かったのが「周囲の理解がない」でした。「母乳で育てた方が病気にならないよ」、「母乳がでないの?」と親切心で声掛けをしてくれていると思いますが、母乳をあげたくても止めている母親は責められているように感じてしまいます。毎回、母乳制限をしないといけないことを説明するのも大変です。また、短期で断乳する際に「そんなに泣くならあげたらいいのに」と言われて、心が折れる方もいらっしゃいます。

 「世界HTLVデー」を機に多くの人が正しい知識を持つことで、キャリアの方が少しでも困難ストレスなく子育てができ、次世代でのHTLV撲滅につながるきっかけになればと思います。

こども医療ネットワーク会員
根路銘安仁(鹿児島大学医学部保健学科)